万年ヒラリー Reboot 〜闘争の記録〜

社労士開業を目指し、ひたむきに毎日を精一杯生きる平凡な一人の男の物語!

ROUND60 追憶(11)〜万年ヒラリー2010.3.31 Aさんへ〜



・・Aさん、元気にしてますか?近いのになかなか遊びにいけなくてすみません・・

・・Aさんとは、お互いに赴任していた○島でであったんですよね・・

小学校の教師をしていたAさん、あなたは本当に元気で明るい人だな、と思ったのが最初の印象です・・

何回か顔をあわせて話をするうちに「アニキ」とも呼べる存在になっていきました・・本当に根性のあるアニキだった・・音楽の先生が急にやめてしまったので、ギターを3日でマスターして音楽の授業を自分でやり続けたこともありましたね・・俺は本当に感心しました・・

・・俺があの地に赴任したのは、とても不純な動機からです・・忙しい職務に配属されたくなかった・・のんびりやっていきたい・・ほかにも理由はありますが、要は当時の現状から逃げ出したかった・・だから逃げた、そういうことなんです・・

毎日のんびり過ごしていました・・夏の昼休みはほとんど海にもぐってシュノーケリング・・酒のつまみをおいしくしたくて料理の腕もあがりました・・それが、今の主夫の原点ですが(笑)・・特につりはよくやりました・・一晩で40センチオーバーのイサキを5匹ぐらいつりあげたり、カツオは2時間くらいかけて、仲間の手を借りてつりあげたり、時にはサメを釣り上げて、くさやにしてもらったり、ムロアジなんかも3人で200匹くらいあげたりしました・・楽しかった・・

夜もおバカでした(笑)・・島に1件しかないフィリピ○パブに足しげく通い、次の日職場に「マンネンサンイマスカ?」と電話がかかってきて処理に困ることも何度かありました・・二日酔いで庁舎外でタバコを吸っていると事業所にきた住民から「あれ?あんちゃん昨日フィリピ○パブで踊ってたよな」などと大きな声で言われて「そうですよ~~」と開き直ったりすることもありました(笑)・・パチンコ屋の店員に声をかけられ、新しくなった看板に指をさしながら「この看板・・万年さんのおかげで新しくできましたよ」などとも言われました(爆)・・ここではプライバシーも何もありません(笑)

・・でも楽しいようでも、たった一人・・さみしくもありました・・

俺はAさんに何度も「偉くなりたいんだ」という話をしましたね・・その度に「ヒラチャン、別に偉くならなくていいんだよ・・ヒラだっていいんだ・・自分らしくやっていけばそれでいいんだよ」と諭されました・・

そしておもむろに・・「ヒラチャン、俺は暴走族のリーダーだったんだよ・・」

え?そうなんですか?・・・

「大学行って就職したけど、どうしても教師になりたくて、通信教育で教員免許とったんだ・・だから今教員になれただけで幸せなんだよ・・それを全うしたいんだ・・」

・・・う~ん、そんなもんなのかな・・・


・・俺はもっと残りたかったけど、それを許してはもらえなかった・・その島にいたのは2年間・・都会にもどらなければならなくなりました・・

・・ごめんなさい・・俺嘘ついてました・・出発の日を知らせておいて、その日の1日前に東京にもどってきてしまいました・・なんとなく別れのさみしさを味わいたくなかったんですよ・・



・・俺が東京に戻って2ヶ月後、噴火がおきましたね・・・




・・Aさん、避難のときは大変だったでしょう・・おそらく何日も寝ないで子供達を守って奮闘していた・・テレビに映ったAさんの顔・・本当に憔悴しきっていましたから・・

たまたま避難先が当時の俺のネグラから近いこともあって、すぐに会いにいきました・・

案の定、つかれきった顔をしていました・・頭の中がごちゃごちゃだったのか、あまり俺のほうに意識が向いてないのがわかる・・

「・・ヒラチャン、早速きてもらってありがとう・・ほしいもの・・情報がほしい・・」

・・わかったよ!Aさん、避難している間、俺新聞を届けるよ・・必ず・・・

・・だけど僕の根性は3日と持ちませんでした・・本当にすみません・・


・・それからしばらくして、Aさんが全国紙の取材に応えていた紙面を見ました・・




「・・たまたま避難先の近くに住んでた友人がわざわざ新聞を届けに毎日きてくれたんです。勇気づけられました、本当に・・」

・・僕はその紙面を握り締めて、自分のふがいなさに涙がでました・・自分で決めたこともできない・・

Aさん、俺、島から帰っても酒とか楽しいことに身をおいて、まだ島に行く前とかわらない、いいかげんな生活続けていたんです・・本当にすみませんでした・・


それから、その後、俺が結婚するときも、忙しいのにギターをお願いして、歌ってくれましたよね・・本当にありがとうございました・・


Aさん、俺アホなんですよ・・もう偉くなれないのに、何とか誓いを果たしたくて、今さらジローなんですけど毎日早起きして勉強頑張ってるんですよ・・

笑っちゃうでしょ・・もっと早くから勉強してればよかったですね(笑)

勝っても負けても報告にいきます・・今度は逃げないでやりきってみせます・・

待っていてください・・

・・

・・

そういえば、今年の年賀状にはこんなことが書いてありましたね・・

「・・わたくし、Aは児童自立支援施設内にある小学校に勤務しています。ここに通ってくる子どもたちの多くは、幼少期からたくさんの悲しみを背負ってきており、うまく人とつながることができないでいます・・教育者として悲しみを乗り越えて挑戦する子どもたちを支えていきたい。そして、子どもたちに人としての生き方を示していける自分でありたいと考えています・・」と・・

Aさん、あなたもやっぱり人の悲しみ背負っていく・・そんな生き方なんですよね・・

・・うん、でもきっとまた会えばそのへんはお互いに何も語らないで、アホな話しかしないんでしょうね(笑)

それが俺たちらしいですよ・・・


※ちなみにAさんは2023年4月現在、小学校の校長として、自分のすべきことを今も全力で取り組んでいらっしゃいます

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